皆さんこんにちは、ここのなりきりは少し違う歴史の世界になります。
1930年代この時から大日本帝国の暴走は始まっていた。
1931年に軍部は政府の反対を押切り満州事変を起こした。広大な荒野に満州国を建国、2年後には満州国が国と認められなかったため国際連盟、ワシントン海軍軍縮条約を脱退。1936年には軍部大臣現役武官制が復活したため、シビリアンコントロールが失われ大日本帝国政府は形骸化していた。
歯止めがなくなった大日本帝国は1937年の盧溝橋事件、第二次上海事件を境に日中戦争に突入、初期は快進撃を遂げたものの兵站システムの問題で膠着状態になった。
独英による工作で和平交渉が進むが最終的に決裂、この地点で日中戦争の最大の難点は援蔣ルートと呼ばれる米英仏による中国支援ルートだった。この支援は中立国を経由したもので封鎖は難しく、軍部はこの問題に頭を抱えていた。たが、好機は訪れた。日本の反対ではフランスがドイツに降伏したのである。これを機に仏印ルートである北部インドシナに進駐したのである。
同年に日独伊三国同盟を締結、これらは日米関係を非常に悪化させた。アメリカは太平洋での優先を保ちたいめ領土変更は断固避けたかったのだ。アメリカは日本の進駐に強く反発、対日制裁を格段に強化していった。禁油政策で日中戦争継続が難しくなったため、アメリカとの交渉を本格的に始めた。だが、ハルノートが出され日本の要望を否定されたと軍部は感じ開戦を決意、1941年には真珠湾を攻撃する。マレー半島にも上陸シンガポール、フィリピンを陥落させた。日本は1942年にはミッドウェー海戦で米軍の艦隊を破る。その後、アメリカ軍はハワイに戦力を終結させ日本海軍を破ろうと日本の領土ミッドウェーに移動するが返り討ちに合いハワイを占領される。アメリカは大日本帝国と講和をし、多額の賠償金やハワイ、ミッドウェー、フィリピン、ガダルカナルなどの島々を日本の領土とすると東京講和会議で認められた。オーストラリアは日本と同盟を組みイギリスをアジアから追い出した。ドイツはイギリスのロンドンを占領しイギリスは降伏、本土以外はドイツ領になった。
ソ連もモスクワが陥落しアジア方面のソ連領を日本領にされソ連は滅亡した。
イタリアはドイツと共にアフリカに残る連合軍を追い出した。中国は支援をしてもらえずに日本に重慶を取られ降伏、インドはイギリス植民地から抜け出し独立した。枢軸の勝利が決まったのである。
長文失礼しました。大日本帝国の法律を教えます。
天皇は神である。
天皇の言うことは絶対
日本国民は天皇のために死ぬこと
などなど
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